サーフィンをはじめてから8ヶ月目に入りました。まだまだ一年にも満たないペーペーのbeginnerでございます。
そして、サーフィンをはじめてからこっち、数ヶ月はただ楽しいだけで済んでいたサーフィン&サーフコミュニティも気付けばここ半分以上は“めんどうだ”と感じる期間を数えるようになってしまった。
今思い返せば、ただ楽しかっただけの時間は本当に幸せだったように感じるし、同時にとても盲目的だった。「サーフィンをもっと早くに知りたかった!」「仲間ってサイコー!!」って、なんかそんな感じで(笑)
人って新鮮で衝撃的なコトに出会うとやっぱりどこかしら盲目的になっちゃうんすよね😅
サーフィンのローカリズム
さて、その悩みのタネだった「サーフィンのローカリズム」
辿れば、どうも小学校3年生くらいの噂好きカルチャーの程度を出ないのではないか、というのが今のところ辿り着いた結論なのである。なんだか懐かしい甘酸っぱい感じの。
『1組の田中と鈴木が揉めてるらしいぜ〜?』
『3組の松島が今日の放課後告るらしい!』「うっそ!まじで!?」
ってな具合でみんな噂好きで、一般社会と比べると非常に子供っぽいカルチャーの側面を持っている。これは何も悪口を言いたいわけではなくて、みんな子供のままの考えを持っていて所謂「Alice in Wonderland syndrome(不思議の国のアリス症候群)」的なところも自分との共通項だったりして安心する材料でもあるわけなのだが…。
みんなサーフィンを大切にしていて、趣味の域を超えてLife Styleに食い込んできているからこそ、自分たち(特にローカルや熟練者の方たち)の居心地の良いように環境を整えることは動物として本能的にやることであろうことは理解している。しかしながら、そのやり方がどうも子供っぽい…。本能的があまりに本能的すぎる。
30代、経営者と関わることが多かった自分にとって、あまりにも自由的発想なサーファーたちに戸惑いを隠せないのではなかろうか?そう考えると経営者というのは非常に理性的であり、むしろ理性で本心を圧してるというか、隠してるというのか…。
と、ここまで書いてみて思えてきたことが一点。サーフィンを始めてから、仲間やコミュニティとの付き合い方が“まるで少年時代のようだ”と感じることが多々あった。それは当初いい意味でそう感じていて、時間や場所関係なくいつも波のことで連絡を取ったり、『次どこいく?何する!?』っていつも次やる遊びのことを考えていたように思う。そして、それが楽しかったし、未来がこんなにも楽しみで良いものなのか!!?って逆に不安になるくらい毎日が楽しかったように思う。
つまり、サーフィンは非現実的なのだ。
そんな非現実的な毎日を過ごしながら、非現実的な未来を思い描く。そうすることで夢を想い描き、そしてその夢を実現させることができそうなイメージまでもを描くことができていたように思う。
脳みその蓋が閉じてしまった…
2023年7月。ボクはタイの北部、山間の街チェンマイにいた。Webの力で時間・場所が自由に働けるようになってから、恩師の影響で訪れた街で、もう何度も訪れている。一番来ていた2019年ごろは3〜4ヶ月に一回ペースで来ていた。
新型コロナウィルスによるパンデミックが始まってからは、海外への渡航も厳しくなったので、この2023年は実に4年ぶりとなる海外。(思えばコロナの影響であんなに大好きだった旅を奪われてすっかりココロが空っぽになってしまっていたように感じる)
そのチェンマイへは、Webの仕事仲間と6人くらいで現地集合。大阪、熊本、福岡などからそれぞれが思い思いに過ごすためにスケジュールもそれぞれにやってきた。
そこで、2週間ほどのチェンマイ生活を過ごし、脳みその蓋がパッカーん!と開いてしまった。ちなみに、この「脳みその蓋が開いた」という表現は、ボク独自の怪しい表現なのではなく、あの日本を代表する名監督の宮崎駿先生が仰っていたことである。そして、その言葉を拝借しているのは、本当にこの言葉があまりにもピッタリな表現だと思うからである。
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