先日、サーフィン仲間の友人と話をしていた時のこと。
友人「勇翔さんはいつもどんな風に仕事をしてるんですか?」
勇翔『どんな風にって…別に普通だと思うんやけど…w』
サーフィン仲間との飲みの席では、仕事も含めたライフスタイルをお互いに模索するのが常なのだ。
どっぷり浸かっているサーファーは、海を中心に生きているので良い波の日に海に行けないというライフスタイルを許せなくなってくる。だからこそ、普段からどんな風に仕事をしたり、家庭環境を築いたり…ということが大切になってくるわけだ。
そして、ボクはよく海に行っているので、サーフィン仲間からすると“不思議”で仕方がない。というわけ。
勇翔『ボクはね、30代の10年間はとにかく資本主義に魂を売って、働いて働いて働きまくったんよね。まぁ、その結果、30代後半で身体と心を壊してしまったんやけどw その10年間で会社を作ったり、たくさんお金を稼いだり使ったりして、とにかくお金のことを勉強しまくったんよね〜』
頭の中でいろんなことを思い返しながら、あまり長く話しても仕方がないのでとにかく短くまとめる。
勇翔『その結果、解ったことがあるんやけど。お金っていうのは足りない状態を“貧困”と言うでしょ?この状態は精神安定的に良くないし、家族を養っている一家の大黒柱としてはあってはならない状態やろ?ただね、それと同じように、お金を持ちすぎてる状態ってのがあるわけよ。それをなんと言うのかな…?今の資本主義主体の世の中では言葉が無いように思うんだけど、お金でぶくぶく太ってる状態ってのも良くないわけよ。』
友人「え、お金ってあればあるほど良いんじゃないんですか?」
勇翔『う〜ん、ダメなんよね。蛇口と一緒やんね。止められない蛇口を持つと、いつしか水害が起きるやろ?水害の前に蛇口閉まらんのやから、水道代がバカにならん。けど、その水道代以上に稼げば良いやん!って思考に何故かなる。貴重な資源を垂れ流しにしてるのに、ね。』
友人「なるほど…お金を持ちすぎてる状態を経験したことがないので、実際にどういう状態なのかイメージしづらいんですけど、なんとなくはわかります」
勇翔『根源的な話やけん。なんとなく良くない状態を想像できたらそれでOKやと思うよ〜。とにかく、閉まらない蛇口は要らないと言うことをボクは肝に銘じてるんよね。』
「閉まらない蛇口」から出てくるお金というものはどういうものだろう?
閉まらない蛇口から出てくるお金というものは、言い換えると「自分自身ではコントロールできないお金」ということになる。お金を稼ぐために作られた法人はそれに近しい。企業理念に社会貢献や還元を持たない会社はつまり、みんなでお金を稼ぐためだけに存在している会社ということになるのではないだろうか?
実際、若い頃のボクはそうだった。居酒屋をやっていたけれど、とにかくその箱でお金を稼ぐことばかりを考えていたし、その後、店長をしていた店を離脱して大箱に入った時にも、当時福岡で最も繁盛していたダイニングバーだったものだから、スタッフ、ゲスト、会社全体が「稼いでナンボ状態」に陥っていた。
ゲストの幸せは二の次だったのだ。
周囲の幸せを考えず、自分本位に行動を起こすことの恐ろしさを若い時分には気付きにくい。それもそのはず、資本主義の中にいて資本主義のルール内での生き方しか教えてもらうことができないのだから。(この事についてはまた別の記事で詳しく書きたいと思う。短く話せる内容ではないので。)
とにかく、資本主義の中で生きていると、たくさんお金を稼ぐことが正義になるし、湯水のようにお金を使える人がカッコいいと、なる。だがしかし、冷静に考えてみてほしい。今の日本は資本主義だけれど、資本主義というのはひとつの選択肢でしかないということを。
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