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自分探しの旅を続ける

昔、20代の頃。自己啓発セミナーのようなもので「自分探しの旅をしたがるんですよ。いやいや、あなたはそこにいますから!笑」と言った登壇者がいた。

その言葉を受けた会場は気色が悪いほどの爆笑に包まれ、まるで自分探しの旅なるものをした人を集団で否定しているようであった。

もし、その場で「ボクはその経験があります。海外で修行を積みました🧘」なんて言おうものなら、きっと嘲笑われていたであろう…。下手をすれば前に立たされ、質問責めにされ、餌食になっていたのかもしれない。

さて、今回ボクがお話ししたいこと。それは、自分探しの旅…というのものの真価である。

鬱病、双極性障害、突発性難聴要因のメニエル病、発達性障害スペクトラム(ASD)、ADHD、Gifted(ギフテッド)…※ボクはこれまでにこれら全ての病名を付けられてきた

など、これまでに診断されてきた病名があるわけだが、それらの病名が付く(西洋医学の医師から診断される)ことで一縷の安心感は得られるのであろう。実際、ボク自身がそうであるように。

しかし、ここで問題提起したいのは、「では、ギフテッドにジャンル分けされた人は皆がそのカテゴリー内に収まるのか?」ということである。

つまり、どう言うことかと言うと、アイデンティティの否定に繋がるのではなかろうか?ということである。

ギフテッド(仮)だから、こうなる。そーゆー思考パターンになる。そーゆー行動を起こしがち。ギフテッド(仮)だから…。

こう指し示すことで、指し示す方には安心感があるのかもしれない。そりゃそうである、問題を解りやすくするためにジャンル分けするのであるのだから。

しかし、その“ジャンル分け”をされた当の本人は堪ったものではない。

なぜなら、“その考え”はギフテッド要因であると断言されるのであるから、ギフテッドの域を出なくなってしまう。つまり、“病気が原因”と落とし所を付けられ、意見が押し殺されてしまった瞬間であるのだから。

お解りだろうか、精神病だと区分された意見や問題は、もはや何を言っても精神病の領域を出ることはできない。当人が何を言ったとて、すべて「精神病」となるのだから。

ひとつ例を出したいが、今は少々疲れてしまったので、後ほどこちらへ追記することにする、、、

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