ボクは幼少の頃から、束縛されることが大嫌い。
母親から「もう暗くて危ないから外へは遊びに行くな」と言われれば、余計に行きたくなり何とか家を抜け出す方法を考えて抜け出してみる。結果、むちゃくちゃに怒られるわけだけど、それでも何だか抜け出せたことが嬉しかったり。
中学校へ上がる頃、最初はあんなにやりたかった部活動のバスケも、回数や時間を重ねるほどにコミュニティへの束縛感が出て鬱陶しくなってしまい練習に行かなくなってしまったり…。何かのコミュニティに属したり、行動や思考を束縛されたりすることがとにかく苦手な子供だった。
そして、それは今もさして変わらないから厄介だ。
最近で言えば、サーフィンのコミュニティなんてものもある。サーフィンは一人で始めることはかなり難しい類のものだ。(スポーツとも趣味とも形容し難いのでここでは“類【たぐい】”とした)そして、自然の環境とは言え、その海に根付いたカルチャーであり、人々の営みがある以上、ローカリズムってものが付き纏ってくる。ローカリズムがあれば、必然的にそこにコミュニティが生まれ、そして、そこに人間関係が生まれ、それを尊重するための行動制限が生まれる…って寸法だ。
サーフィンをやる上で真に自由を求めるのであれば、独りでサーフィンをやり続けるしかないのだけれど、はて?…独りっきりで波に乗り続けて楽しめるような強靭な精神力を持ち合わせている人間なんてこの世にいるのだろうか…?
つまり、自由を求めれば一人がいいのだけれど、本当の独りだとサーフィンが楽しくない。別のカテゴリーの話で言うとCampのスタイルを話題にするときにもよく突き当たる。Campにも人それぞれいろんなスタイルの楽しみ方がある。ちなみにボクの好みはソロキャンプを寄せ集めた集団キャンプだ。個々がそれぞれ独立していて決して他に依存することはないんだけれど、お隣さんとは楽しむってスタイル。もちろん友人知人同士で輪を囲むスタイル。こう言うと、ファミリーキャンプや友人同士のキャンプと何が違うの?って思われることも多いんだけど、結論から言うと全く違う。食材や調理器具などを共有しながらキャンプをするのと、それぞれが完全に独立しつつ、出来合いの料理などをシェアするのとでは楽しみ方が全く違う。いくら気の知れた仲間どうしだとしても、料理の段取りまで共有していたら非効率だし、それこそケンカになっちゃう(笑)
つまり、パーソナルな空間を維持することで自立し、そして、自立した者どうしでキャンプというひとつの寄り合いを楽しむ…というスタイル。ってわけだ。これをサーフィンでも実行したいと思う。(こんなことはもっと端的に説明ができそうな気がする。読者の方でご存じの方がいれば是非コメント欄から教えて頂きたい)
<Memo>
事実はいつも相対的である。つまり、観測者が居てこそはじめて事実は真実となる。
ー 自分史より
必ず観測者が必要になってくるのではないか?と言うのが現在ボクが行き着いている答えなのである。
求めた自由とは何なのか?
さて、幼少の頃から求め続けてきた「自由」と言うものだけど、その自由というものは一体何なのだろうか?
- Free
- Freedom
- フリーランス
- 個人事業主
↑って、羅列してみたのが、働き方の自由ってやつ。
- 行動の自由
- 選択の自由
- 仕事の自由
- お金の自由
- 思考の自由
↑そして、これが人間が真に自由であるための五箇条。
自由には常に責任という言葉が付いて回るのだけれど、つまりその責任とやらを果たせば最高の自由を味わえるというわけなんでしょ?では、責任とは一体何なのだろうか?
「1. 行動の自由」は勝手に自由に行動すれば良いだけだから、犬でも猫でもできる。「2. 選択の自由」もやりたいことをやったら良いだけだから、子供でもできる。(大人になると何故かできなくなるんですけどねぇ…笑)
で、3番。自由に仕事をやりたいとして、その場合の自由って何?って考える。一口に「仕事の自由」と言っても、ワークスタイルの自由もあるし、作業場所の自由もある。収入の自由もあるし、勤務時間の自由もある。で、結論を言うと、ボクが求めた「仕事の自由」はその全てを兼ね揃えている事が条件だ。
つまり、いつでもどこでも働ける。海外にいても日本にいる時と同じように働けるし、朝でも夜中でもやろうと思った好きな時間に取り組むことができる。そして、毎日やってもいいし、やらなくてもいい。一日数時間でもいいし、ガッツリ15時間働いても良い。でも、0時間でも良い。もちろん、収入は働いた時間に比例しがちだけどね〜。っつー、そんなわがままなワークスタイルを実現させることが、ボクが30代の多くを費やしてやってきたこと。というわけだ。
では、次に「4. お金の自由」を手に入れたい。と考える。仕事が自由になったんだから、今度はお金も自由にしたい!それじゃあ、お金の自由を手に入れると言うことは、たくさん稼いで大金持ちになることだ!って、ふつーは思うじゃないですかぁ?でもね、違うんですよ。お金の自由を手にいれるためには稼ぎすぎちゃいけないんです。←これ重要。
お金というのは、少なすぎてガリガリでもダメだし、ありすぎてブクブク太っててもダメ。ふつーは「ガリガリ=貧乏」は嫌だ!って思ってたくさん稼ごうとするんだけどね。お金ってのはたくさんありすぎると、今度はお金のために働かなくちゃいけなくなる。お金を維持するためでもあるし、たくさんのお金を扱うようになると、必然的に関わる人数が増えるでしょ?人数が増えると、やらなきゃいけないことが増える。つまり、行動制限が出てくるってわけ。それじゃあ、本末転倒なわけですよ。※ここについては話すと長くなるので、いつか機会がありましたら書きたいと思いますですハイ。
やっと本題になりますが。
はい、いつも前置きが長くて本当に申し訳ございません。
いよいよ本題の「5. 思考の自由」でございますが、この思考の自由とはどういう意味か、お分かりになりますでしょうか?
人間というのは厄介なもので、自分で自分に思考の制限をかけて生きています。まるで呪いのように。
多くの場合、親から繰り返し言われ続けた言葉が鎖になっている事が多いのですが、「こう考えなければいけない」とか「こういうときにはこう考えるべきだ」という自分ルールのようなものがあって、そーゆーものが、まぁ結構なパワーを持ってあなたを縛り付けています。
現代日本で言うと、資本主義特化型と言いますか…(笑)
「お金持ちになる方法」とかの自己啓発系の本を多く読む人とか危ないです。そして、20代のあんまり世の中のことわかってない時期にネットワークビジネス的なものをやってる人とかも。これ系の人種と触れてその界隈の人たちと触れる機会が多かった人と言うのは、知らず知らずの内に自分を自分で縛っちゃってます。思考を。
そういった、資本主義の枠から飛び出すことがまず最初の第一歩ですし、「お金を稼ぐことをやめよう」と、この言葉の意味がわかるようにならなければ、そもそも会話が成り立たないことが多いのです。
見比べて頂きたいので再掲。
- 行動の自由
- 選択の自由
- 仕事の自由
- お金の自由
- 思考の自由
思考を解き放つことができると、それまでの4番までの自由を超越して、まるで地球の中から宇宙空間へ飛び出したかのように大きな大きな世界への旅が始まります。4番までのセカイは、とっても狭いセカイだったのです。
このことを理解している人と是非お話をしたいです。当記事下のコメント機能からコメントを残してください。
それでは、お付き合い頂いてありがとうございました。記事の改良も考えていますが、疑問などありましたら教えてくださいましたら幸いです。
【追記|2024/05/14】
「思考の自由」の次には「心の自由」があるのではなかろうか?
次回、そのことについて考察を兼ねた記事を書きたいと思う。
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